管理者はゆかりんふぁんであと歴史とか妖怪とかも好きな福岡県民です。☆☆余生はうどんなどを打って静かに暮らしていきたいです。
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ひさびさに読んだ本でも。漫画じゃないヤツでw
こどもはオトナの父 司馬遼太郎の心の手紙
(神山育子/朝日出版社)
平成八年の三月二日の朝日新聞天声人語欄に司馬遼太郎先生のお人柄を紹介する記事が載った。それは先生が執筆された小学国語教科書(大阪書籍)の『洪庵のたいまつ』(五年)と『二十一世紀に生きる君たちへ』(六年)を学んだ小学生たちが感想文を送ると、早速返事があった。以後も感想文を送るたびに手紙が届いた。いずれも読んでいて「心が春のようになる」温かさがあったという記事であった。
(まえがきより引用)
その担任だった先生が書かれた本。
まめに返事を出す司馬遼太郎の人柄が伝わる本です。そして、小学生にもあの文章は理解できるものなんだなあと。この先生の熱心な指導のたまものだろう。
手紙のなかの文言も興味深い。
「日本における教育者は、洪庵が最大で、子規、松陰の二人を加えたいと思っています。いずれも、自分の小さな手のひらの火を、他に移した人々でした。
共通しているのは、生命が短かったこと、平明な文章を書くこと、一見、おとなしい人であること、などでありましょう。まだ共通点があるかもしれません」
とか面白い。
『二十一世紀に生きる君たちへ』の中で
「私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない」
という表現がある。
残念なことに事実になったんだけど、それに対して「いっしょに見たいのに」「悲しすぎる」とか子供の優しさに切なくなる。
最後の方に、なんで教科書に載る文章をひきうけたのか、という話が手紙の中に出てくるのだが、富田先生という小学校のときの先生への謝恩のつもりでと。けっこう長い文章で思い出を書かれている。これを読んだとき、教育ってのは人。人と人との繋がりなんだなあとしみじみ思った。
んで、末尾に「こどもはオトナの父」って言葉が出てくるのね。
『ふしぎですね。小生は八月で七十という頽齢ですのに、中身にはたっぷり小学生がいます。
「こどもはオトナの父」
という英国のたれでしたか、そのように言ったことばを思いだします。私の中の小学生が、物や事を感じさせてきて、私のなかのオトナが、それを論理化し、修辞を加えてきたにすぎないのかと思ったりします。
もっとも、心にコドモがいなくなっているオトナがたくさんいますが、それはもう、話すにも値いしない人間のヒモノですね』
俺もヒモノにはなりたくないなあと思った。

こどもはオトナの父 司馬遼太郎の心の手紙
(神山育子/朝日出版社)
平成八年の三月二日の朝日新聞天声人語欄に司馬遼太郎先生のお人柄を紹介する記事が載った。それは先生が執筆された小学国語教科書(大阪書籍)の『洪庵のたいまつ』(五年)と『二十一世紀に生きる君たちへ』(六年)を学んだ小学生たちが感想文を送ると、早速返事があった。以後も感想文を送るたびに手紙が届いた。いずれも読んでいて「心が春のようになる」温かさがあったという記事であった。
(まえがきより引用)
その担任だった先生が書かれた本。
まめに返事を出す司馬遼太郎の人柄が伝わる本です。そして、小学生にもあの文章は理解できるものなんだなあと。この先生の熱心な指導のたまものだろう。
手紙のなかの文言も興味深い。
「日本における教育者は、洪庵が最大で、子規、松陰の二人を加えたいと思っています。いずれも、自分の小さな手のひらの火を、他に移した人々でした。
共通しているのは、生命が短かったこと、平明な文章を書くこと、一見、おとなしい人であること、などでありましょう。まだ共通点があるかもしれません」
とか面白い。
『二十一世紀に生きる君たちへ』の中で
「私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない」
という表現がある。
残念なことに事実になったんだけど、それに対して「いっしょに見たいのに」「悲しすぎる」とか子供の優しさに切なくなる。
最後の方に、なんで教科書に載る文章をひきうけたのか、という話が手紙の中に出てくるのだが、富田先生という小学校のときの先生への謝恩のつもりでと。けっこう長い文章で思い出を書かれている。これを読んだとき、教育ってのは人。人と人との繋がりなんだなあとしみじみ思った。
んで、末尾に「こどもはオトナの父」って言葉が出てくるのね。
『ふしぎですね。小生は八月で七十という頽齢ですのに、中身にはたっぷり小学生がいます。
「こどもはオトナの父」
という英国のたれでしたか、そのように言ったことばを思いだします。私の中の小学生が、物や事を感じさせてきて、私のなかのオトナが、それを論理化し、修辞を加えてきたにすぎないのかと思ったりします。
もっとも、心にコドモがいなくなっているオトナがたくさんいますが、それはもう、話すにも値いしない人間のヒモノですね』
俺もヒモノにはなりたくないなあと思った。
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